AIへの興奮と、ざわつく不安と — 海外エンジニアのエッセイを読んで

タビの独り言

海外のエンジニアが書いたエッセイを読んで、しばらく考え込んでしまいました。Andrew Montalenti さんという技術者の「Programming in 2026: excitement, dread(興奮と、恐れ)」という一文です。タイトルのとおり、いまのプログラミングに対するワクワクと、ざわつくような不安、その両方を正直に書いた文章でした。読みながら、何度もうなずいてしまいました。

わかる、この「興奮」

まず興奮の側。彼はこう書きます。Claude Code のようなエージェント型のツールのおかげで、「無料でジュニアプログラマーの軍団を手に入れたようなものだ」と。個人開発の摩擦が消え、思いついたアイデアをその日のうちに形にできる。スタートアップを始めるハードルが、劇的に下がった。

これは、なるほどとしか言いようがありません。私自身、この数か月で「作ってみたかったけど手が回らなかったもの」がいくつも動くようになりました。頭の中のアイデアと、動くものとの距離が、こんなに近づいた時代はなかった。純粋に、面白い。

でも、わかる、この「恐れ」

一方で彼は、恐れの側もごまかしません。「コードを書くこと」そのものが、だんだん価値の中心ではなくなっていく。仕事の主役が、自分で書くことから、AIが書いたものをレビューし、束ねることへ移っていく。長い年月をかけて磨いてきたコードを書く技能は、これから何を意味するのか。プログラミングを志す若い世代が減っている、という話も添えられています。

彼はプログラミングを「文章を書くのに似た、ひとつの職人技(craft)」だと言います。ただし文章と違うのは、コードは「変更するために読まれる」ものだ、と。この一節が、妙に胸に残りました。作って終わりではなく、誰かが読んで、直して、続けていく。その営みごと変わろうとしている、という話だからです。

「今回は違う」と、彼は言う

私がいちばん考え込んだのは、ここです。彼は「ソフトウェア開発の根本的な性質が、いま変わろうとしている。過去のどのサイクルでも、こんなことは起きなかった」と書いています。

正直に言うと、長くこの業界にいると、この手の「今回こそ本質が変わる」という言葉は何度も聞いてきました。インターネットのとき。クラウドのとき。スマートフォンのとき。そのたびに世界は確かに変わりましたが、よく見ると変わったのはツール・言語やプラットフォームで、「要件を考え、設計し、作り、直す」という仕事の芯は、意外と変わらずに残ってきました。だから私の癖として、「本質が変わる」には少し身構えます。

ただ、彼の主張はそこが違います。今回変わろうとしているのは道具ではなく、「作り方」そのものだと。コードを書く工程が、人の手から離れていく。もしそれが本当なら、確かにこれは、過去の「道具の交代」とは種類の違う変化なのかもしれません。私はまだ、半分うなずいて、半分は様子を見ている、という感じです。

興奮と恐れは、たぶん同時に持っていい

このエッセイの良いところは、どちらか一方に決めつけないことでした。AIですごいものが作れる興奮も本物、積み上げてきたものが揺らぐ恐れも本物。彼はその両方を抱えたまま、それでも前に進む、と書いて終わります。

私も、たぶん同じ気持ちです。新しい道具で何かを作れる時間は、素直に楽しい。でも「じゃあ自分が四十年やってきたことは何だったのか」と、ふと立ち止まる瞬間もある。どちらかに振り切る必要はなくて、両方を持ったまま、面白がれるところを面白がっていく。いまはそれでいいのかな、と思っています。少なくとも、こうやって海の向こうの誰かと同じことで悩めるのは、悪くない時代です。

元記事: Programming in 2026: excitement, dread, and the coming wave(Andrew Montalenti)

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