2026年に入って、「アナログ回帰」が静かなブームになっています。手芸大手Michaelsの報告では、手書きの日記やクラフトの検索が急増し、毛糸の売上は前年比40%増だったといいます(報告)。生成AIが創作の領域まで飲み込んでいくなかで、あえて手を動かし、画面から少し離れる——そんな“減速”を選ぶ人が増えているようです。そして興味深いのは、この流れが、便利な道具を“作っている側”のエンジニアにも及んでいることです。
「開発者の最強ツールはペンとノート」
エンジニアが集まる Hacker News では、「開発者にとって最も大事な道具は、IDEでもデバッガでもなく、ペンとノートだ」という話題が、何年も繰り返し立ち上がります(議論の一例)。一過性の流行ではなく、定期的に立ち返る“定番”だという点が大事です。実装の細部に没頭すると全体像を見失う、だから紙で考えると視界が戻る——というわけです。
コメント欄のエンジニアたちの声も具体的です。「別の道具に切り替えると、脳が違う注意の払い方をする。夜に手書きを始めたら、昼の仕事のパフォーマンスまで上がった」。「コードを紙に印刷し、赤ペンで一行ずつ追うと、エッセイを推敲するように気づきが増える」。手書きは体を動かすぶん記憶や思考に効く、という神経科学的な裏づけも語られています。
あえての“不便”が、頭を働かせる
この議論のなかでとりわけ面白いのが、「disfluency(ディスフルエンシー=あえてのぎこちなさ)」という考え方です。見慣れないフォントや不慣れな環境、つまり少しの“使いにくさ”があるほうが、脳が自動運転から覚めて、かえって深く考える、というものです。効率のためにツルツルに磨き上げるのが当たり前の世界で、あえてザラつきを残すと頭が働く。逆説的ですが、腑に落ちます。
道具の“性格”の違いもあります。スマホは通知や新着で、向こうから絶えず呼びかけてきて、気づけば手が伸びます。アメリカでは1日平均205回スマホを見るという数字があります(調査記事)。日本でも、15〜29歳の約6割がスマホを1日2時間以上使い、若い層では6時間を超える人も少なくありません(モバイル社会研究所)。対して紙とペンは、開いても何も起きず、ただ待っている。呼びかけてくる道具から少し離れ、待っていてくれる道具のそばに座ると、注意が自分の手元に戻ってくる。アナログに安心を感じるのは、たぶんこの静けさのおかげだと思います。
道具そのものが「機能を減らす」ほうへ
面白いことに、道具の側もこの流れに応え始めています。同じ記事では、2026年に「do less(あえて機能を減らす)」ガジェットが静かに支持を集めていることも紹介されています。読み書きに専念できる電子ペーパー端末(reMarkableなど)や、通話とメッセージくらいに機能を絞った“あえてシンプルな携帯”(海外で“dumb phone”と呼ばれます)です。日本だと「それ、ガラケーでは?」と思うかもしれませんが、少し違います。懐かしくて戻るのではなく、便利をひととおり知ったうえで“あえて選ぶ”——そこが今の空気です。
作り手の言葉も示唆的で、「機能を削るほうが、足すより難しい」。必要なものだけを高い質で残し、あとは意図して捨てる、という設計です。ただし正直なところ、こうした端末はまだ値が張り、市場の主役ではありません。大きなうねりというより、“気づいた人がそっと選び始めている”くらいの温度感です。
便利な世の中で、不便を楽しむ
こうして眺めると、エンジニアのアナログ回帰は、逃避でも懐古でもなさそうです。デジタルの作り手が紙やタイプライターに戻る実践を綴った記事でも、「これは“映え”や承認を求めるトレンドではなく、個人の選択だ」と書かれています(実践記)。便利を突き詰める人ほど、その便利さが“注意を奪っていく”ことにも人一倍気づいている。だからこそ、呼びかけてこない道具のそばで、少し手間のかかるやり方を選ぶ。効率の逆を行くようでいて、長く走り続けるための静かな調整なのかもしれません。
実は私自身、この一年ほど、キャッシュレスから現金利用へ、紙の手帳を常用、紙の本を読む、と少しずつ戻してみています。
そして、AIの登場で、世の中はこれからますます便利になっていきます。手を動かさなくても、たいていのことが片づいてしまう時代です。便利になればなるほど、あえて手間をかけるこのアナログ回帰は、この先どこへ向かうのでしょうか。もっと広がっていくのか、一部の静かな習慣にとどまるのか——それはまだ分かりません。ただ、便利さが増すほど、“どの便利を受け取り、どの不便をあえて残すか”を自分で選ぶ場面は、これから増えていくのかもしれません。
参考: Windows Central「Analog revival」/Hacker News「pen and a notebook」/Humai「Minimalism in Tech 2026」/NTTドコモ モバイル社会研究所/ideastream「going analog」
